展覧会Exhibition

北城貴子 - Spectrum
Prismatic Color 4 / キャンバスに油彩 / 1303 x 1940 mm / 2018

  • 北城貴子 - Spectrum

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北城貴子 - Spectrum

2018年 10月 19日 (金) - 11月 11日 (日)

この度アートフロントギャラリーでは、北城貴子の個展を開催致します。

北城貴子(1975-) は大阪府に生まれ、2004年に京都市立芸術大学大学院で博士課程を修了、2006年に公募で大原美術館のレジデンスプログラムARKOに選出され光を描く風景画が一躍脚光を浴びた。平面作家の登竜門であるVOCAにも2004/2013年の2回に渡って参加、光溢れる木立や水辺、咲き乱れる花、雪、山等に描く対象を広げながら独自のスタイルを確立している。

元々描く対象をドローイングで描きとめるためにあちこち移動することを厭わない北城が、近年足しげく通っているのが福島県の喜多方市で、レジデンスや地元の人々との交流を経て昨年個展を開催した。ここで発表された作品は、本格的な登山を初めとして風景を視覚と触覚で掴み取ったドローイングやそれを基に制作された油彩画で、標高2000メートルを超える 飯豊山で残雪を照らす光を体感し、長めのストロークで峻厳な岩肌を立体的に表現した。Keep touching you というシリーズには、2012年ごろのThe day I touched you からさらに奥深く風景に、或いは筆触の領分に分け入っていこうとする作家の意気込みが感じられる。

アートフロントギャラリーでの個展は2014年春以来3年半ぶりになるが、今回のテーマ《水面》は、北城が繰り返し描いてきたモチーフの一つである。長年、光の位相を追求してきた作家にとって、どこにでもありながら捉えどころのない水面はシンプルなだけに挑戦しがいのあるモチーフかもしれない。時間によって光の量そのものが刻一刻と移ろう中で、光が水面にあたってさらに反射し、乱反射が空間を満たしているような状態をそのまま伝えようという作家の意図が、色のプリズムに還元された、実は水面という具体的なモチーフを通して直接響いてくる。以前北城は「筆触から、見た人に皮膚感覚でその時の感じを 認めてもらうようにするのが難しい」と語っていたが、同じ水面でもその質感は様々に構築される。物質そのものも絵画として認知されるようになった今日、絵画とは何かを一貫して問い続けている作家の新たな挑戦を、画面の隅々まで響く通奏低音と共に感じ取っていただければ幸いです。
日程 2018年 10月 19日 (金) - 11月 11日 (日)
営業時間 11:00 - 19:00 (月、火休)
レセプション 2018年 10月 19日(金) 18:00~20:00

Prismatic Color 5 / キャンバスに油彩 / 1303 x 1940 mm / 2018

 北城貴子がはじめて水を主題として描いたのは、2004年のことだという。当時の住まいからほど近い池の水面(みなも)を描いたその絵画(《Blind touch – ももいけ2》)は、春を思わせる淡い桜色で塗られた画布の上を、木々のその刹那の佇まいを思わせる白色や桃色そして深緑色などが軽やかに揺蕩っており、この画家が水を介して光への関心を深めていったその端緒を窺わせる。そうして紡がれ出した光を描くことへの関心は、深い茂みから溢れ落ちる木漏れ日や、咲き誇る花々へと降り注ぐ光の粒子、樹枝に降り積もった目映い雪の反射、冠雪した山の表情を刻一刻と変えてゆく陽光などへと受け継がれてきた。
 そんな画家が今回見据えている新作は、初心にまた還るかのように水面が主題となった。否、もはや「水面」という言葉へ帰すべきではないのか。なぜならばその画面には、彼女がこれまでも垣間見せてきた色彩に対する優れた感性や、点と線そして面までも駆使する多彩な筆使いがいっそう尽くされることによって、瞬きをも許さぬような水と光の表情にとどまらず、それらが重なっては綾なす深奥な空間までもが、かつてないほどに実現されているからだ。そう、描かれたこの「水面」は、絵具が折り重なった単なる「表面」なのではない。それは色彩によって我々の脳に想起される風景と、絵の具という物質がときに荒々しく塗られることで際立つ現前性との拮抗する状況であり、それゆえの掴みえぬ魅力を、大いに画上に表してくれている。そのような思いは、彼女の旧作を思い返したのちに、あらためてこの画家の今に向きあうならば、ことさら強く感じられるはずだ。
 ともすれば人は、ここで具象/抽象という二つの耳慣れた言葉の間(あわい)で、この描かれたばかりの絵を腑に落とそうとするかもしれない。はたしてそれらは、この絵画の正鵠を射ることがありうるのか。それらは単に、時とともに誤読されてしまったこれらの言葉の安直な解釈へと、その作品を塞ぎ込めるだけではないのか―そんな不安を顧みることなく、この絵画は、そうした手垢の塗れた見方に確かに抗っている。まずは、つねに絵画と真摯に向き合いその今日的な在り方を模索してきたこの画家の新作に、まるで自然そのものにそう触れるかのごとく、静かに、時を忘れてぜひ対峙してほしい。
(髙嶋雄一郎・神奈川県立近代美術館主任学芸員)

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