【インタビュー】中谷ミチコ : 白昼のマスク / 夜を固める
現在、アートフロントギャラリーでは初めてとなる個展を開催中の中谷ミチコ。
初日のレセプションでは、本展について、この一年間ずっと本展と同時進行で進めてきた三重県立美術館での個展について、自身の彫刻との出会いについてなど、様々な想いを語って頂きました。
現在、ここ東京での個展と、並行して進めてきた三重県立美術館での個展、二つが同時期に開催されています。どちらの展示も一方の部屋が黒い樹脂作品の暗い部屋、もう一方が透明樹脂作品の部屋で、自然光が入る明るい部屋になっています。どちらも同じようにハレーションが起こるような展示にしたいと考え、二つの部屋で構成しました。
まずはこの一年、ずっと私が向き合ってきた三重での個展について説明します。
この個展は、三重県立美術館に付属する柳原義達記念館という場所でおこなわれています。柳原義達(1910-2004)という近代具象彫刻家の作品を常設で展示している記念館です。
実は私が17歳の頃、彫刻をやってみたいと思い始めたときに展覧会を見に行ったのが神奈川県立近代美術館鎌倉別館で行われていた柳原義達展でした。その翌年、世田谷美術館での個展で円形の展示会場の中に義達さんの「犬の唄」シリーズがありったけ並んでいて、そこにズンと一人立って見上げていた。そこで彫刻をやろうと思った、そんな自分を思い返す展示の機会になりました。
彫刻家・中谷ミチコにとって、新たな起点ともよべるこの夏の二つの展示。どうぞご高覧ください。
■ 中谷ミチコ : 白昼のマスク / 夜を固める
2019年8月9日(金) – 9月1日(日)
アートフロントギャラリー、東京代官山
■ 中谷ミチコ:その小さな宇宙に立つ人
2019年7月6日(土)-9月29日(日)
三重県立美術館 柳原義達記念館
(※注)
彫刻家・柳原義達について(三重県立美術館ウェブサイトより http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/art-museum/55944039015.htm)
柳原が東京美術学校を卒業した年には二・二六事件が起こるなど、1930年代以降日本は戦争に向かって突き進んでいったが、その中で柳原の意識は「放心的空間の中をさまよっていた」という。戦争が激しさを増すとともに、その影響は柳原の周辺にも及んできた。学徒動員でニューギニアに出兵した実弟が戦死した体験、召集令状を受け取り入隊する部隊へ出発しようとしたその日に終戦となったという特異な体験の中で感じた「自嘲と空虚、割り切れぬ屈辱」感、さらに戦後間もない時に銀座の路上で突然アメリカ兵に殴られた時の「あきらめの心と、[何だ]が重なった」体験。こうした戦争前後の体験を振り返って、「戦争の無意味さの自覚に生きて、その戦争に対する私のアイロニーとレジスタンスの精神が、この自己への芸術生活への支柱になるだろうことを願っている」と柳原は記している(註:柳原義達著前掲書 202-205頁)。
また、1946(昭和21)年、柳原は佐藤忠良とともに作品を預けていた家が火災にあって、それまでに制作した作品のほとんど全てを焼失してしまう。これを「もうどうすることも出来ない記憶喪失者のように、私の過去の制作はなくなった」、「とりかえしのつかない災難」と自覚した柳原は、「私なりのレジスタンスとして[犬の唄]という主題で作品をつくることになった」という(註:柳原義達著前掲書 192-193頁、195-196頁)。
「犬の唄」(シャンソン・ド・シャン)とは、直接的には印象主義の画家エドガー・ドガの水彩作品《犬の唄》(1876-77年頃)に由来している。それは、普仏戦争後のパリのカフェ・コンセールに出演していた歌姫エンマ・ヴァラドンがうたった、戦争に敗れたフランス人のレジスタンス精神を込めたシャンソンであったという。敗戦後のやり場のない屈辱、不満、自嘲、虚しさを柳原は、《犬の唄》に託したのである(註:柳原義達著前掲書 205頁、荒屋鋪透「水の緑ー《犬の唄》試論」『柳原義達展』カタログ所収(1995年 柳原義達展実行委員会))。
(略)
まずはこの一年、ずっと私が向き合ってきた三重での個展について説明します。
この個展は、三重県立美術館に付属する柳原義達記念館という場所でおこなわれています。柳原義達(1910-2004)という近代具象彫刻家の作品を常設で展示している記念館です。
実は私が17歳の頃、彫刻をやってみたいと思い始めたときに展覧会を見に行ったのが神奈川県立近代美術館鎌倉別館で行われていた柳原義達展でした。その翌年、世田谷美術館での個展で円形の展示会場の中に義達さんの「犬の唄」シリーズがありったけ並んでいて、そこにズンと一人立って見上げていた。そこで彫刻をやろうと思った、そんな自分を思い返す展示の機会になりました。
彫刻家・中谷ミチコにとって、新たな起点ともよべるこの夏の二つの展示。どうぞご高覧ください。
■ 中谷ミチコ : 白昼のマスク / 夜を固める
2019年8月9日(金) – 9月1日(日)
アートフロントギャラリー、東京代官山
■ 中谷ミチコ:その小さな宇宙に立つ人
2019年7月6日(土)-9月29日(日)
三重県立美術館 柳原義達記念館
(※注)
彫刻家・柳原義達について(三重県立美術館ウェブサイトより http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/art-museum/55944039015.htm)
柳原が東京美術学校を卒業した年には二・二六事件が起こるなど、1930年代以降日本は戦争に向かって突き進んでいったが、その中で柳原の意識は「放心的空間の中をさまよっていた」という。戦争が激しさを増すとともに、その影響は柳原の周辺にも及んできた。学徒動員でニューギニアに出兵した実弟が戦死した体験、召集令状を受け取り入隊する部隊へ出発しようとしたその日に終戦となったという特異な体験の中で感じた「自嘲と空虚、割り切れぬ屈辱」感、さらに戦後間もない時に銀座の路上で突然アメリカ兵に殴られた時の「あきらめの心と、[何だ]が重なった」体験。こうした戦争前後の体験を振り返って、「戦争の無意味さの自覚に生きて、その戦争に対する私のアイロニーとレジスタンスの精神が、この自己への芸術生活への支柱になるだろうことを願っている」と柳原は記している(註:柳原義達著前掲書 202-205頁)。
また、1946(昭和21)年、柳原は佐藤忠良とともに作品を預けていた家が火災にあって、それまでに制作した作品のほとんど全てを焼失してしまう。これを「もうどうすることも出来ない記憶喪失者のように、私の過去の制作はなくなった」、「とりかえしのつかない災難」と自覚した柳原は、「私なりのレジスタンスとして[犬の唄]という主題で作品をつくることになった」という(註:柳原義達著前掲書 192-193頁、195-196頁)。
「犬の唄」(シャンソン・ド・シャン)とは、直接的には印象主義の画家エドガー・ドガの水彩作品《犬の唄》(1876-77年頃)に由来している。それは、普仏戦争後のパリのカフェ・コンセールに出演していた歌姫エンマ・ヴァラドンがうたった、戦争に敗れたフランス人のレジスタンス精神を込めたシャンソンであったという。敗戦後のやり場のない屈辱、不満、自嘲、虚しさを柳原は、《犬の唄》に託したのである(註:柳原義達著前掲書 205頁、荒屋鋪透「水の緑ー《犬の唄》試論」『柳原義達展』カタログ所収(1995年 柳原義達展実行委員会))。
(略)