展覧会Exhibition

椛田ちひろ -影をおりたたむ-
新作、2013年、インクジェット紙、油性ボールペン

  • 椛田ちひろ -影をおりたたむ-

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椛田ちひろ -影をおりたたむ-

2013.11.29 (金) ? 12.22 (日)

このたびアートフロントギャラリーでは、椛田ちひろによる個展をおよそ1年ぶりに開催いたします。これまでのモノクロームの世界観から次の展開へ向けた動きにご期待ください。

11月29(金)~12月1日(日)の3日間、Art Stage Singapore 2014 に出品する新作を特別展示します。

協力:株式会社カシマ
日程 2013.11.29 (金) ? 12.22 (日)
営業時間 11:00 - 19:00(月休)
会場 アートフロントギャラリー(代官山)
オープニングレセプション 2013年11月29日(金)18:00-20:00
作家在廊予定 11/29(金)、11/30(土)、12/1(日)、12/22(日)14:00以降
モノクロームで作品を表現する作家は数多い。しかし私たち視覚世界は当たり前のように色彩があるため、モノクロームの写真が登場する19世紀を待つまでドローイングや版画の製作手法を限定した世界以外ではモノクロームで大きな作品を制作することなど思いもよらなかったかもしれない。むろんアングルの「オダリスク」のような特例はある。色彩という目を惹く要素が少ない為、モノクロームは描かれたもののボリュームの表現に秀でているように思われる。
椛田ちひろはこれまで黒いボールペンを基調として製作をしてきた。身体の中にある見えない闇の中で自身が掴み取る行為あるいはその対象となる曖昧な「何か」を表現してきた作家である。目で見えない何かを具現化する場合、私たちの視覚世界の基調とは異なり、それはおそらく色彩を持たない対象であったという点でモノクロームの表現も自然であったかもしれない。あるいはボールペンを使うという前提を考えると即興的なドローイングの領域に近く、モノクロームが表現としても自然のなり行きだったのだろうか。
一方、椛田のモノクロームはこの数年で変化をしている。初期の作品群を見ると掴み取りたいと思っている形が曖昧なままであったのかもしれないが、白地に溶け込むようにして細い線で輪郭が構成されているものが多い。この数年の作品を見ると鏡という新たな支持体を使い始めた影響もあってか、描いたボールペンの黒々とした面を光沢のある塊として描き、ボールペンで描いた黒の輪郭が際立ってゆく。ボリューム感が増す一方でそれまでの即興的な、あるいは自身が本能的に描いている印象は薄れてゆく。一方で、思考やコントロールされた作品としての面白い作品が出てきた反面、時にはフォルマリズムに陥っているのではないかと感じることもあった??\x82
そう思っていた頃、椛田は今年初旬のスイス、チューリッヒでの個展を境に色のあるボールペンを本格的に使って作品を作り始めた。文房具屋に行くと黒と赤のボールペンだけでなくありとあらゆる色のボールペンが並んでいる。もはやあの青みを帯びた黒い色はボールペンという素材においてステレオタイプな色でなくなっているのかもしれない。明確なフォルムをとるに至ったモノトーンの作風から、色を使うことで椛田の作品世界は再び明確な輪郭を失いながらも、本来この作家にあった即興的で曖昧な部分を取り戻しつつ、色彩をコントロールすることで作品の可能性が大きく広がっているように思われる。そればかりではない。私たちはこの時代にあって、固有のアーティストしか成し遂げられない同時代の表現を求める。古来多くの芸術家が探究してきた整ったフォルムを求めた結果としての作品というだけではなく、あるいは作家個人の表現の発露としての作品というよりも、現在を背景として常に新しい素材やテーマに取り組みながら変化し、見たことのないものを提示してくれるのが現代のアーティストだ。作家も自身が今この時にあって他者と共有できるのかを見定めつつあるはずだ。今回の展覧会ではこれまで基礎となっていたモノトーンから振幅を広げることで新たな展開の入り口に立つ。私達はみな、そうした椛田の作品を本来は待ち続けているのではないだろうか。

アートフロントギャラリー 近藤俊郎

■■椛田ちひろインタビュー■■

近藤(以下、K):少しタイトルのつけ方が変わりましたね。今回の展覧会では作品サブタイトルにそれぞれ文筆家の名前が入っているシリーズがあります。これら文筆家は椛田さんが好きな文筆家なのですね?

椛田(以下、CK):それぞれの名前を思い描いて作品を描いたわけではありませんが、作品に名前を与えたかったのです。嫌いな人の名前はきっとタイトルには選ばなかったでしょう。見る人のお気に入りの小説家の名前もあるかもしれませんね。今回は海の名前の入った作品もあります。でも月の海だったり、行ったことのない所ばかりです。描き手も描きながら想像を広げられるのですが、見る人も作品を見ることによって空想を広げる一助になるのではないでしょうか?

TK:これまでも鏡を使った作品や真っ黒にボールペンで丸く塗りつぶしたような作品を作られていて、作品自体にこちら側の空間が映り込んでいました。そうした意味では空間を作品の内側に取り込んだ作品であったと思いますが、今回の作品は作品を空間に沿わせている。これまでとは別な形で空間を意識した展示のようですね。1点1点を見るだけではなく、作品と空間を体験させることも重要になってきているようです。時間とか空間と1点1点のものとしての作品の関係について教えていただけますか?

CK:今回の展示ではギャラリーの壁にぐるっと沿わせた連作があります。基本的には作品は本来1点1点バラバラな独立したもので、一つ一つの世界があると思います。ですから実際には繋がっていません。私の多くの作品がそういう作りになっているのですが、ばらばらに制作した作品を繋げ、<その会場に合った>かたちに仕上げます。一つ一つの作品であっても作品がまとまって見えて、それらが空間と呼応することによって、みる人それぞれの面白さを発見してくれたらいいと思っています。

TK:場所が変われば同じ作品でも周囲との関係は変わっていきます。反射して見える風景も作品の一部だとかつてお聞きしましたが、今回の作品も見る条件によって変わりますね。

CK:今回の展示で「昼間の明るい方がいい」という方もいれば、「夜の暗い方がいい」という方もいます。時間(光)によって見え方がかなり変わるので、美術館やギャラリーではなく、日常の生活空間こそが似合う作品だと思う、という感想も頂きました。非日常の空間ではなく<自分が生活する場、温かい空間>という意味合いでおっしゃっていたように思います。個人の家、くつろげるスペース、という意味なのかもしれません。

TK:今回の展示作品では黒以外の色のボールペンを使われています。新しく色を加えた発端はなんだったのでしょう?

CK:新作では、今までの黒に、金・銀・白の三色を加えました。しかしカラフルというのとは違います。色を使ったとはいっても、黒ペンの時と意識はほぼ変わっていませんし、描く時にひたすらに画面に線を引くだけです。黒で引き、上から銀で引き、もう一度黒、さらに金、そして白、また黒、さらに銀・・・というように、ペンを持ち替えながら線を引いています。

TK:効果はどうでしたか?

CK:画面の中で色を変えることによって、今までは黒の中の黒い線として埋没しがちだった一本の見えなかった筆致が見えてきます。描くという行為が視えるようになることで、絵画的な奥行きが生まれてくるように思います。

TK:筆致を見せるための効果ですね?

CK:はい。それからもうひとつ、金や銀のインクはそれ自身が反射し、見る角度によって線が現れたり消えたりします。それに加え、作品の表面をすべてアクリルで覆いました。鑑賞者と絵との間に反射の層を作り、画面は様々に表情を変えて見えます。金や銀は光を反射してチラチラと表情を変え、描くとき・観るときに上手く線を捉えられないところが良いのです。また、画面に貼ったアクリル板も、同様の効果を発揮してくれます。

動機というのは、しばしばシンプルなものです。私がボールペンを選んだ最初のきっかけですが、鉛筆、シャープペンシル、水性ペンをことごとく折って壊してしまうという筆圧の高さだった私は、ボールペンに出会ってはじめてのびのびと書けるようになったのです。

TK:なるほど。こうした作品にたどり着くのも色を使い始めるのも、聞かれたらこうだから、とか結果としてこうだったというのがあっても、語ってしまうとひとつの動機に帰結してしまいますが、本来は偶然とか必然性みたいなものがあったりするのでしょうね。

CK:今回の展覧会に中学の担任だった先生がいらっしゃって、20年ぶりだったのですけれども、とてもあなたらしい作品だと思いましたという感想をいただきました。当時先生に褒めていただいた絵のことを思い出します。新緑スケッチ大会で、私は黒の線で樹の幹を描いていたのでした。

それから私が美術大学を受験したときの話ですが石膏の首像が横たわっているものが課題として出されました。座った席がちょうど台座の底、つまり丸い穴しか見えない位置で、仕方がないので黒い丸を6時間かけて描いて提出したのです。
これで合格したのだから、大学側も度量が広いなと感心します・・・。

「鏡は横にひび割れぬ」2012年、ガラス、樹脂、600x400mm


TK:今まで真っ黒の作品を作られる作家さんという印象がありましたが、お客さんの反応はどう感じられましたか?

CK:来場された方からいただいたコメントの中で面白いと思ったのは「日本的だ」という感想でした。しかも、同じことを言われる方が多いのです。海外で日本的だと言われたことはありましたが、国内で、日本人に同じ感想を頂いたのは新鮮に感じられましたね。きっと日本的に仕上げようなんて思って意識的に作品作っても自然にはそうならないでしょうね。

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