展覧会Exhibition

東京 ‐ 元田 久治
作品イメージ: Indication-Tokyo Metropolitan Government Building, 2013年, 40×46.5cm
, リトグラフ

  • 東京 ‐ 元田 久治

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東京 ‐ 元田 久治

2013.6.21(金)- 7.14(日)



アートフロントギャラリー(代官山)にて元田久治展を開催いたします。東京をテーマに製作された新旧の作品にフォーカスします。
日程 2013.6.21(金)- 7.14(日)
営業時間 11時より19時(月休)
レセプション 6月21日(金)18:00~20:00
作家在廊日 6月30日(日)、7月13日(土)、7月14日(日)
元田久治の作品をこの数年気になって見続けてきた。東京を中心に見覚えのあるランドマークは人の気配がなく、建物や道には痛ましく亀裂が走り、崩壊しかかった都市が描かれる。硬質なリトグラフによる表現にもよるかもしれないが、見慣れた場所が時間と距離を感じさせるような冷めた視点でここではない別の場所として語られる。むろん私たちはいろいろなものを想起するであろう。例えばアンコールワット。ある都市の繁栄が途絶え、いつしか人々はその地を放棄し、忘れ去り、都市が密林に覆われ、数百年を経て再発見される。例えばAKIRA。そこは手塚治虫に描かれるようなステレオタイプな未来ではない。崩壊した都市があり、捨て去られた近未来都市。未曾有の東北の地震を経験したのちにはより生々しく「災害」を連想するかもしれない。ヨーロッパの街と異なり東京は常に過去を振り捨て変化し、20年後に同じ場所に来ればほとんどが変わってしまっている街だ。そのまちの今の姿がそのまま崩壊している。従って、描かれているのは近未来の遠い状況ではなく、切迫した今と連続した時間の様であるが、何があったかは暗示されていない。東北の地震以降、元田の作品は災害と照らされて語られてしまうことが多いかもしれないが、本来は海岸に打ち上げられた瓶のように、何故そうなったのか分からない途中経過を語らない結論として、今という時間が封じ込められながらも打ち捨てられ、崩壊した今の都市であろう。
熊本から東京に来て、作家が大都市を見たときに感じた違和感が作品のベースにある。東京はめまぐるしく姿を変え、成長しているように見えるが実際は、殻を脱ぎ捨て、次から次へと変化してゆく都市である。再開発ともなれば、あっという間に以前の姿を脱ぎ捨てて変化してゆく。例えばそこのマンションが建つ前に何があったかを記憶にとどめることは難しい。多くの町が変化する一方、そこに根付いたものを振り捨てることが出来ずにいるのに東京はいとも簡単に脱皮する。もちろん東京という町を作家がある程度知っているからこそできる表現なのだと思う。元田は東京以外にもシドニーなど他の都市を描いているが、北京オリンピックの競技場を除き、東京を描いた作品ほど意識的に冷やかに見える作品群はない。比較してみると5年ほど前の東京を描いた作品群では渋谷の風景でも過剰に都市に亀裂を入れ、崩壊させた風景を描こうという主観性が見て取れる。しかしその後の作品ではむしろ時間の経過による崩壊がなされていてより客観的に風景を見ている作家がいるような気がする。近年、リトグラフだけでなく油彩も描くが、直接画面に触れずに、いったん版というクッションを置いた版画の方がより硬質で冷めた客体性を風景との関係では保てているようだ。版画の硬質な表現が都市のもつ異質感、自分との距離感を顕在化させるのに適しているのであろう。
今回の展覧会では東京を描いた作品に絞っている。多くの都市生活者が共有している、東京という都市の異物感を再発見できればと思う。また、新作では、空き地に捨てられたレンガなどに興味を持った作家がそこから得た印象をもとに箱庭を新しく描く。それは打ち捨てられて漂流してきた空き瓶のような東京とは異なり、空襲あとのバラックのように、その地にかつてあった何かを踏襲しつつも断片から全体へと新たな東京の生成譚を紡いでいく表現であろうと思う。
アートフロントギャラリー 近藤俊郎

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